株式会社 space fabric 一級建築士事務所
(東京都知事登録 60870号)
〒103-0007
東京都中央区日本橋浜町 3-26-12
スクエア日本橋409
03-3661-8034
azuma@space-fabric.net
営業時間
9:00~18:00
休業日:日曜、水曜(祝日のある週は祝日)、年末年始、お盆
・東 信洋(Azuma Nobuhiro) 代表取締役・設計担当
・山口 千夏(Yamaguchi Chinatsu) 設計担当
・大城 拓也(Oshiro Takuya) 設計担当
東 信洋 (あずま のぶひろ)
一級建築士(大臣登録295215号)・代表取締役
日本建築学会 会員
東京建築士会 会員
1973年 東京都中央区生まれ
1985年 青南小学校 卒業
1988年 青山中学校 卒業
1991年 筑波大学附属高等学校 卒業
1996年 東京大学 工学部建築学科 卒業
1998年 東京大学 大学院修士課程 修了
1998年 鹿島建設株式会社 入社
2002年 space fabric 一級建築士事務所 設立
2016年 株式会社 space fabric 一級建築士事務所
徐々に建築に魅かれた子供時代
積み木で街を作ることが好きな幼少期、成長するとともに少年期になってもプラモデルを作ったり工作をしたりとモノを作ることが好きな面が常にあり、そんな時はとっても集中していたようです。小学校で一番好きな教科は図工でした。小学校4年の時に仙台から東京の港区に引っ越してきて建物が道に迫って建ち並んでいるのをみて結構驚きました。仙台にも高層の建物はあったんですが街並み・道路と建物の高さの比率に圧倒されたというか。港区の青南小学校に転入したんですが目の前のフロム・ファーストビルが当時の自分にとっては衝撃的な空間体験でした。迷路のように入り組んだ構成・少々薄暗い回廊をどきどきしながら歩いたのを覚えています。中学(青山中学校)で技術の先生に宮大工のことを聞いて中学卒業したら棟梁に弟子入りして修行する、そんな道もあるんだな~と思い興味をもったのと、近所に槙文彦設計のスパイラルビルはじめたくさんのおもしろい(?)建物ができたりして建築家という職業を知ったのもそのあたりでした。
それと高校在学中だったと思うんですが、池袋の西武百貨店で安藤忠雄展が開催されていて友人を誘って見に行った記憶があります。精巧な模型を見入ったり鉛筆のドローイングに魅かれてちょっと真似してみたのを覚えています。高校時代には建築の道に進みたいという希望が明確になりました。
卒業後一年間代々木ゼミナールにお世話になって東京大学に入ることができたんですが、一年半の教養課程の後に建築学科の門をたたきました。建築が勉強できることにとてもワクワクしたのを覚えています。その頃が自分のなかで勉強したい・知識をつけたいという欲がそれ以前に比べて一番あった時期だった思います。
設計に対する考え方
施主の要望をそのまま形にするだけでは、「いい家」はできないのではないかとよく思います。要望とは、施主のそれまで住んできた体験が元になって出てきたものですが、そのような「過去」だけを拠り所にしていては、これからの生活を切りひらいていく力に欠けるのではないでしょうか。 私が目指すのは、もっと「懐の深い家」です。これまで自分がしてきた家の中での過ごし方とは少し違うけれど、新しい生活を受け入れてくれたり、今までとは異なる生活の仕方を常に発見していけるような家を作りたいと思っています。 住み始めたときではなく、何年目かに気づく良さもあります。だから、施主の要望を聞くときも、視野を広く持っておくように気をつけています。 たとえば「ソファーに座って大画面のテレビを見たい」という要望が出たとき、そのまま言葉どおりに受け取るのではなく、奥にある意味までくみ取ることが大事だと考えています。つまり、リラックスするには本当にテレビとソファーでなければいけないのか、と立ち止まって考える。すると、もしかしてソファーでなく大きなテーブルを置いたら、子供の勉強を見ながら本が読めていいかもしれない、親子の新しいコミュニケーションが生まれるかもしれない。このように、施主の家族関係や人生まで含めて考えるのです。 家づくりが、施主にとって「どう生きていきたいか」といったことを考えるきっかけになってほしいですね。 ただ、真剣に考えると家族で意見が分かれることもあるし、頑張りすぎると家づくりが辛い労働のようになってしまうこともあります。そんなときは、建築家として、さまざまな希望をかなえるベストな回答を出すことだけでなく、率先して楽しい雰囲気をつくるように心がけています。